定村史朗 プロフィール


1963年 東京生まれ。
7歳でバイオリンを始め鈴木メソードにて約10年間、松井宏中に師事する。
1979年 高校在学中より、ジャズ、ロックを通じてバイオリンによる即興を模索し始める。
1984年 渡米、ボストンのバークリー音楽大学でMatt Glaserにジャズバイオリンを師事。
1985年 Joe Venuti Awardを受賞後、1987年にバークリー卒業を待たずにニューヨークへ移る。
1987年 NY市立大学 CITY COLLEGE へ移籍、当時ジャズ科のディレクターであった世界的ジャズプレーヤー、ロン・カーターの個人レッスンを2年にわたり受ける。

また同時に、ニューヨークフィルのコンサートマスター武部洋子の指導を受ける。

学内では、"Seymour Peck Scholorship in the Arts"  "Pro Musica Award" 等を受賞。

学業成績、音楽活動が認められ、大学より特待生として研究生ヴィザを授与、アメリカ国内での演奏活動と学術研究の自由な両立が認められる。
1997年 芸術学部音楽科卒。
在学中の1988~90年、 エディ・パルミエリ・バンド(グラミー賞7度受賞)へレギュラー参加。

1989年スイスの Montreux Jazz Festival, 1990年 ニューヨーク・カーネギーホールに於ける JVC Jazz Festival、Newport Jazz festival ほか全米、ヨーロッパのツアー/ジャズフェスティバルなどで演奏。

DAVID SANBORN や MIKE STERN 等と共にフィーチャーされたアルバム「SUEÑO」(1989年リリース)がグラミー賞にノミネートされる。
1995年 即興を中心とした NYベースのフリーファンク・プロジェクト UPLINKERS を結成。現在に至るまで、BLUENOTE等をはじめとするNYのジャズクラブで様々な音楽活動を行っている。
2003年 慶応義塾大学(SFC) にて、文化事業部主催による講演会を行う。
2005年 初のソロアルバム「METAMORPHOSIS」を発表、ゲストにエディ・パルミエリ、ロン・カーター等を迎えジャズ、ファンク、ラテン、現代音楽などを融合した話題作と各メディアで絶賛される。
日本においては、自己のジャズカルテットの他、芳垣安洋、尾島由郎、中島ノブユキ、フェビアン・レザ・パネ、大儀見元 らとノンジャンルな即興音楽のユニット「TIME & PLACES」「SOFT DIVE」等も行っている。

近年は、日本のレーベル(TOY'S FACTORY, WARD RECORD, BMG ファンハウス, ユニバーサル 他)での日本人アーティストのCD制作/プロデュース/コーディネーション等も行う。

バイオリンを主体とした即興演奏のセミナー「定村史朗バイオリン・インプロビゼーション講座」も定期的に行う他、東京、ニューヨークで個人レッスンを中心とした後進の指導にも熱心に携る。
2012年4月  帰国。日本を拠点として、新たな音楽活動を開始。
2012年9月 YOKOHAMA本牧ジャズ祭 秋の陣として、ニューオリンズより世界的クラリネット奏者 Evan Christopher等を迎えて中村誠一(TS) と共に横浜市開港記念会館講堂にて演奏。
2012年10月 カリタス女子短期大学にて、2014年6月には関東学院大学にて90分の講義を持ち、ソロパフォーマンスを行うと共に、人生の半分以上を過ごしたアメリカでの体験を中心に語る。
2013年11月 BankART1929(平成25年度文化芸術振興費助成)大野一雄フェスティバル 2013「横浜ダンス界隈2013」にエレクトリックバイオリンによる即興演奏で参加する。
2015年5月 東京国際フォーラムにて開催されたラフォルジュルネ2015「渋さ知らズ」公演にゲスト参加。2016年公演へも参加予定。
現在は日本を新たな拠点に、ジャンルを超えた様々なトップアーティストと独自な音楽活動を始めている。
また帰国以来、北海道、九州、東海地方などへも頻繁にツアーを行い、日本全国のミュージシャンとの交流を深めている。

Uplinkers

Uplinkersの構成は定村のバイオリン以下、アフロキューバン パーカッション、ブラジリアン パーカッション、ボンゴ、ファンクドラム、ベース、ギターという一見変わったものであるが、リズムを重視したこの構成には、従来のジャズのリズムパターンに飽き足らない定村が、ジャズの枠を突き抜けて、現代の感覚により合った新しい音楽ジャンルを模索している事が如実に現われている。

もちろん中心にあるコンセプトはジャズのインプロヴィゼーションであり、カテゴリーとしてのジャズが一番自分にとって表現しやすいアートフォームだと定村は言う。しかしスイングのリズムが本当に現代にぴったりくるのか、そのリズムで現在という瞬間を本当に表現できるのか? と、Uplinkersは演奏する事によって問いかけているのである。

音楽の決定的な要素であるリズムパターンを、伝統という名の元に安易に選んでいては本当の自分の音楽はできない。現にそれを否定する事からマイルスやコルトレーンは革新者と呼ばれ、常に前進し続けていったのではないか? と定村はストイックに追及する。

彼自身が今一番興味を持っているのは、フュージョン以前、70年代にジャズロックやクロスオーバーと呼ばれていた頃のコンテンポラリージャズである。

当時マイルス・デイビスを先頭に様々な音楽的試みが行われ、モダンジャズの発展形の新しい音楽が生まれる可能性が限りなくあったのに、フュージョンが「売れる」音楽である事を証明するや否や、全ての可能性の芽がフュージョン一色にすり変わってしまった事を定村は指摘する。

「70年代半ばの音楽的な試みはあまりにも混沌としていたし、あれをそのまま再現したいわけじゃない。ただ僕が言いたいのはあの頃の音楽はもっともっと掘り下げて行けば、とんでもなくおもしろい方向に進化して行った可能性もあったという事。90年代の今、あそこにいったん戻ってみてそこからどこに行けるのかをやってみたいんだよね。」

Uplinkersでは、既にある曲を演奏するという概念はなく、全メンバーによるインプロヴィゼーションの応酬で曲がその瞬間瞬間作られていく。

ソロの順番も打ち合わせで決まっているわけではなく、従来のジャズのパターンにそって主題に戻っていくわけでもない。それだけに各メンバーの創造性と柔軟性、取るべき場所でイニシアチブを取れるかどうかが重要になる。

幸運にもそれを体現できるニューヨークでも選り抜きのリズムセクションに恵まれたUplinkersのステージは、常に緊張感にあふれ、音楽的実験と芸術的表現が微妙な割合でミックスされた全くオリジナルなものである。

音楽的にもっともっと冒険したい、と言う定村。ジャズクラブに限らずダンスクラブでのライブにも意欲を示しており、DJのリミックスによるインプロヴィゼーションを取り入れるアイディアもあるという。

ジャズというアメリカ生まれの偉大な芸術に魅かれ、ニューヨークに移り住んで研鑽を積む日本人ジャズミュージシャンは数多い。しかし、テクニックや伝統を学ぶ事や、既存のアーティストのバンドで演奏するだけでは飽き足らず、自らリーダーとして、強者ぞろいのニューヨークのミュージシャンをバックに新しいコンセプトを表現しようとする、貪欲かつ実力のある日本人アーティストはそういない。

定村史朗は明らかに数少ないその中の一人である。ニューヨーク発のコンテンポラリージャズプロジェクト、Uplinkersからは当分目が離せそうにない。

Uplinkers

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