What's up?  2002年1月〜6月
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2002/01/17(木)

しんねーんーあっけまして、おめでとうございまーす。

わったしは元気。
先日、我が母国であるところの、火山列島より戻ってまいりました。
今年もよろしくお願いします。
で、書き初めとしては、やはり帰国日記でしょうっつう事で軽く御報告しますね。
といっても、今回の御帰還は10何年ぶりかの「日本で過ごすお正月」だったので、
感無量、あんまし書けないな。

御恒例の温泉は、2回。山形の銀山温泉、そして近場で箱根湯本。
いやーまったく。
銀山はすごかった。「非日常」をたんまりと満喫できた。
まず、行きの新幹線は、俺の乗った次の便が吹雪で運行中止。
帰りも、乗るはずだった便がやはり吹雪でキャンセル。3時間位待って次のに乗れたんだけれどね。
雪国たあこのことよってな感じで、ほんとにトンネルをいくつか、すかごーすかごーって
くぐったら、もう積雪2〜3メートルの銀世界。

創業400年という能登屋さんの送迎バスの中から見える景色は360度まっしろけで、
地面の上と地面の下の区別がつかない。まるで雲の中を飛んでるようでした。
露天も含めると、全部で4っつある能登屋の温泉風呂は全部入れて満足。
(男湯と女湯は時間で交代)

食事中、テレビもつけずに、時折どそっと屋根の雪が落ちる音なんかを外に聞きながら
ひとりでもぐもぐしてると、「失礼いたします」と素敵な女将が三つ指ついて挨拶に来られた。
旅館の歴史や銀山温泉のお話しなんかをひとしきり聞かせてもらって、来た時と同じ様にすうっと
女将の出て行った後、再びもぐもぐしながら「はーこれが私の国だー」なんて、
妙に一人で感心してしまった。東京に戻って、夢から覚めたものだけれどねえ. . . . 。
箱根湯本もよかったし。やっぱり日本は温泉だ! 
ちなみに誰もいない温泉風呂で、わたしは平泳ぎなんて決してしてませんですよお。

そうそう横浜の実家では、ちゃんと年末の大掃除やら窓ふきやらをしたし。
諸処の身辺整理も含めてな。古ーい現国の教科書とか、なんでこんなの残ってるんだよお、と思って
マスクをしたままページをたくれば、そこにはいろんな線が引っぱってあったりして、あんまり勉強
しなかったけれど、それでもそこには懐かしい努力の痕跡が認められて、一瞬時が吹っ飛んで
頭の中は雪国だった。

つづく


2002/02/02()

3テナー at BIRDLAND

一昨晩 BIRDLAND に「3JAZZ TENORS」を聴きに行った。
Joe Lovano, Michael Brecker, Dave Liebman の3テナーに Phil Markowitz(P)
Rufus Reid(b) Billy Hart(Drs) のリズムセクション。
悩んだ末に行ってしまって、思った通りの LIVE であった。
4曲演奏のうち、最後の「IMPRESSION」だけが聞きごたえがあった。
やっぱり、ああいうセッションものはシンプルなフォームの上での即興の応酬が
醍醐味なのかなーと感じ入った次第でござるよ。

オリジナル曲では3人ともソロになると、なんか強引に自分の世界に持って行って
しまって、それがよくも悪くも、なんだか「曲」としての統一感を無くしていた。
それぞれのソロはすばらしくいいのかも知れないけれど、三つのソロの内容あるいは
発展の仕方が、互いに干渉せずに独立して存在しているようで、
あれなら3人別々のギグでも、ソロの内容は変わらないんじゃないかと思った。
即興の名手が3人もそろっているんだから、違いを聴くんではなくて何か
「3人がいたからできた」ソロがもっとききたかったな。



2002/02/11(月)

想ひ出のゴジラ

「ゴジラ」の件、報告しておかないといけない気がしてならない故、ここに書きマス。

帰国したら絶対見に行こうと決めていた金子修介監督の「ゴジラ」。
「ハム太郎」なんかと併映なんじゃんよ、とがっくりしたものの、1月上旬の
ある晴れた日、俺はワーナーマイカル/みなとみらいのチケット売り場のおねえさんに、
「あの、ハム太郎は見たくないんですけど」とわざわざ断って、上映開始時間ちょうどに
館内に入った。中は息苦しくなる程、子供とお菓子の匂いが充満しているではないの。
おまけに既に「ハム太郎」見て幸せそうな子供達がほぼ全員、次に始まる「ゴジラ」の
解説を互いに大きな声でわめいている。
歳をとったおにいさん、であるところの年齢的には、つまりおじさんである俺は、
とってもやーな予感がしながら「やっぱり夜の回に来りゃよかった」と俺の後悔をよそに、
まるで遠足バスのような館内は、容赦なく暗くなって映画はさっさか始まっちまった。
「ゴジラはねー、いいもんなんだよー」とか「あ、あれはねえ、モスラの幼虫なの。」
とか、もーうるさいなー君たちもっと静かに見れないの?おじさんはねえ、もう何十年も
前から. . . . . 。
と、言っても仕方ないのであるわけで、俺は額に脂汗を滲ませながらその劣環境に堪えたのだ。
「真っ昼間からゴジラなんかをじっくり観賞しに来た俺が悪い」とね。
まあ確かに「ハム太郎」と併映にしたお陰で、興業成績も大きく上がったらしいが、しかし。

おおー。恐いじゃんかなり。子供達なんて、さっきまでの騒ぎはどこへやら。
「ねえねえ、あれ本物じゃないよねえ?」なんて言い合ってるうちはまだしも、
終いには皆黙りこくっちまった。よしよし。映画は静かに見ような。

うーむ、やはり金子「ゴジラ」は期待通りレベルが高かった。本編も特撮もバランスよく、
セットも小道具も作り物という感じがしないもの。往年の円谷英二/特技監督、
本多猪四郎/監督作品のようなクオリティーの高さをも感じさせた。
にもかかわらずよ、あのあっけないエンディングはなんだ。かなりがっかりだぞえ。
あんなに強くてこわーいゴジラだったのに、なんだか最後で
「結局全ては映画というお伽話なんすね」てな具合、だったなあー。



2002/02/15(金)

Aiyb か、Ayib か?

2月21日から4日間、フロリダ州の Fort Myers という所にツアーでいきます。
といっても自分のバンドではなくて、Aiyb Dieng (Herbie Hancock/Bill Laswell
のプロジェクトや、Eno, Bernie Worrell, Bootsy Collins 等)のバンドのゲスト出演。
Aiyb とはもともと Poo さん(菊地雅章さん)を通して知り合って以来、数年前に一度
やはり彼のバンドに呼ばれてフロリダに行ったきりだったのだ。
彼はセネガル出身だったと思うけれど、あの男不思議だな、と感じた事が前回、
彼の家に泊まっていた時に何度かあった。
その最たるものが、実は彼の音楽、ではなくて彼の「足音」なのですね。

その頃彼が住んでいた、川辺のまるで別荘のような家はとても広くて、俺は2階の1室に
滞在させてもらっていたのだけれど、例えば深夜、居間でくつろいでいて、さあじゃまた
明日な、と自分の部屋に戻り、歯でも磨くかと洗面台の前に立つと、さっき自分の部屋へ
戻ったはずの Aiyb が鏡にうつっている!!「ぎょをっ」として振り向くと、
「タオルは足りてるのか」とか言って、彼がすましてそこに立っているではないの。
まったく足音などしなかったのだ。瞬間移動としか思いようがなかった。
彼が家の中で、裸足でひたひた歩いているのを差し引いたとしても、それは鮮やかな、
まるで手品のような不思議な技のひとつだった。
声などかけずに、いきなり肩をたたかれて、うわぁっと叫んだ事もあったしな。
それ以来、よく考えてみると俺の知っているアフリカ人ってみんな、動きがしなやかなのだ。
無駄な動作がないというか、つまり動きがどったばったしてない。
身体に記憶された『獲物を仕留めるために背後から音も立てずに忍び寄る術』、
なんて言ったら大偏見なのかな。いや、実は俺はそんな事をずっと信じていたのだけど。
今度、彼に聞いてみよう。

さて、いよいよ来週だ。今回も何か不思議な事は起こるのか。
一体、ひこーきはだいじょぶなのか?(行きはノースカロライナ経由、帰りは
ピッツバーグ経由だってさ。直行便じゃないのだ . . . . 。)
Live の話しも含めて、帰ってきてから報告するから、乞う御期待だなこりゃ。



2002/03/02()

新興アート都市計画  

初めて Aiyb Dieng に招待されてフロリダ州 Ft. Myers へ行ったのは90年代の始めのはず。
つまり今回の再訪問は、約10年ぶりということになるんだ。ほお。
という事実に気がついたのは、Aiyb につれまわされて「見学」した Ft. Myers のダウンタウン
を歩き回っていた訪問初日の21日夜のこと。
10年前には無かった、全くあったらしい区画がそこにあった。
というか、前回そこには何もなかったので Aiyb は連れて行ってくれもしなかったのだな。
面積でいうと野球場の半分くらいの広さに、クラブやライブハウス、シガーバーやカフェ、
レストランなんかが20件ほど、ひしめきあっている。
どの店も新しくて、おしゃれえな構えと内装だ。クラブなんか、NY にあるような雰囲気でさ。
そして店の人も客もみんなが彼のことを知っている。みーんな、彼に声をかけてあいさつする。
Aiyb はそんなみんなに『おう、土曜日の Live 来てくれよな、こちらは NY からゲストで
来てくれたシローだ』みたいなことを返す。
数少ないライブハウスのミュージシャン達はもれなく彼を知っていて、みんなが声をかけてくる。
ふーん。

おまけに入る店入る店、どこでも顔パスで、何か俺のためにオーダーしてくれても、
誰もお金を要求しない。実は今回、Aiyb がどこかで金を払っている姿を俺は一度も見ていない。
うう〜む。

Aiyb が NY を離れてこの街に移ってきたのは、80年代の初頭で、
既に20年以上経っているそうだ。
19世紀の後半まで見捨てられてゴーストタウン化していた「マイヤース砦」は、
元々アメリカ原住民(”インディアン”)の攻撃からの防御として合州国によってつくられた
基地だったそうで本当の開発が始まったのは、第二次世界大戦後のこと。それまでは、
エジソンやフォードの別荘地として有名なのんびりした所だったんだって。今でもそうだけど。
前回ここに来た時には、いろんな種類のアーティストが移り住んできているなと
感じたものの、作品を発表する場が極端に少ないと思った。
それがどおだよ。この10年程の間に、こんなに変わっちまった。いいことだ。
そして、ある意味で Aiyb もその変化の一翼を担った功労者?のように見なされている
という事のようだ。

はいつぎ音楽の話し。

Aiyb Dieng (Percussion) Pete Marriott(G) Miko Amore(B) Billy Conty(Drums)
Val Parker (Key) DJ Blenda (Mike Mendolusky/Turntables) にゲストとして、
テキサスから Rachella Parks (Sax) ニューヨークから Shiro Sadamura (Vl)
更に地元で Aiyb が組織している The Global Jungle Orchestra という打楽器集団に
ディジュリドゥ(Didgeridoo)というオーストラリア原住民がごぼごぼ吹く楽器なんかが
加わって、かなり大所帯。
演奏した場所は、Liquid Cafe というダウンタウンの目抜き通りに面した店で、街中の
人が見に来たんじゃないかというくらいの大盛況。通りにまでお客さんが溢れてしまったよ。

ギターの Pete は長年ナッシュビルに住んでいた事があって、ジョ−コッカーやリッチー
ヘブンスのバンドにいた R&B 専門のギタリスト。いいおじさんって感じだけれど、
音がよかったな。Aiyb のコンセプトは、やはり Miles の70年代を思わせる集団即興で、
前日の9時間リハーサルでは、ぷーさんのブギバンドを思わせる采配ぶりであった。が、
結局 Miles のバンドとは違って集団即興の場合、リーダーの音楽ビジョンが作品としても
メンバーそれぞれに鮮明に伝わっていないと、それが誰であれ、音を前に進めるための
イニシアチブを取るタイミングやディレクションに若干の迷いが生じて、それが特に
リーダーのソロに悪い影響を与える可能性があるのではないか。
もちろんリーダーが、インスピレーションや驚きを求めて、メンバーへ明確なディレクション
やビジョンを最初からあまり与えない場合もあるけれどね。
真っ白のカンバスに、落とした一つの色の雫は、それをパワーの中心に周囲の色を
決めていくのか。いくつかの、色を使ってバランスを表現したものに、空間の広がりを
与えるために、背景に白か何かを塗っていくのか。
どおするのか。
ありがとう Aiyb、また呼んでくれないかな。



2002/03/08(金)

     ∽

光のある、全てが目に見える明るい世界に身を置いている時、
俺はこの世にただ一人、意識と意志を持つ存在で、
この世の全ては俺の中に含まれる。
なのに深夜、部屋の灯りを消して真っ暗闇のなかに身を置くと
幽かに見える自分の姿かたちを、じっと黙って認識しているこの世界と、
その瞬間(とき)初めて、そこにいる自分を意識している
俺の内側にいる別の存在に戸惑う。

この世の全ては、俺の中だけに存在していたはずなのに、
真っ暗闇の中で、意識と世界が離れてゆく。

静かに呼吸をしている音も、時折、ぐるる... と鳴るお腹の音も
既に俺のものではない。
俺はただその音を聞き、触れることのできる意識のみにすぎず__ 。


昼間、光の射し込む部屋の窓からガラスを透して、俺は外にいる犯罪者たちを見る。
深夜、真っ暗闇の部屋の中で、窓を見つけられずに、俺は一人の犯罪者になる。
かたちのない意識の中に窓は、既に存在しない。




2002/03/10()

はっと気がつきゃ。(第一部)

あまりに気持ちのいい日なもんで、もったいなくて
川にでも行こうとアパートをいそいそと出る。
あれ、ちゃんと鍵閉めたっけかな、火は消したかな。
あ時計も財布もわすれた!
あーもう夕方になっちゃうんじゃんよう。
まいいか、夕陽がみれるぞ、今日の夕陽はきっと真っ赤できれいだぞ。

帰りにタワーにでも寄って CD でも買っていくか、あっカネがねえんだよ。
なんだよー。まいいか、見るだけにするか。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (緞帳下げ)



2002/03/11(月)

はっと気がつきゃ。(第ニ部)

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (緞帳上げ)

相変わらず元気なアパートだよな、俺んとこは。
さっき部屋を出た時ゃ気がつかなかったけど、まったく。
5階立てで、1フロアーに4世帯。(1階だけ2世帯)
つまり階段を囲んで4部屋が四方にあってさ。
1階では片足のヒスパニックのおじさんが、元気よくスペイン語のテレビ放送を
爆音で流しているし、ドア閉めなさいよ、おじさんかなりうるさいよ。
2階では J-POP おたくの白人のにいさんが、よく打ち込みで曲を作ったり
友達と何かのリハーサルやってる音がする。
先日なんてエゴラッピンかけてたぞ、どこで手に入れたんだ?(ファンなんだ俺)
階段の反対側は、ラップががんがんに騒々しいしぃ。
3階はヘビメタのにいさんが歌ってて、4階が俺の階。
俺の階ではおれが一番うるさいのかな?
それでいいのだ俺はこのビルでは古株なのだ文句ないのだ。
隣の部屋の白人のおねえさんは、時々思い出したように POPS を歌っているが、
あれは一体なんだ練習か?
去年の暮れ、友達よんで ABBA を毎週のようにハモッて歌ってたが、
ハハア、あれはさては忘年会用だな。じょうずだったぞ。
先日もなんか歌ってたから、俺はわざわざアコースティックバイオリン出して、
一緒に即興でアドリブしてたら、すぐに「ぴたっ」と止めてしまった。
わははははははは。
わたしがいけないのだ。すまん、また気が向いたら歌いたまえよ。
また共演しよう。(そのうち出ていってしまうんだろなあ。もうしないよ。)
反対側には、しょっちゅう GIG のあるロック系ギタリスト。おつかれさまな。
最上階の5階には、ボストンの頃から知っているジャズギターの
アーノルドが住んでいる。よく深夜も、真空管アンプから粋な、渋い音出してるんだ。
あとは静かな謎の物書きが何人かと学生さんか。

次回は(気が向いたら)各階に漂う独特の世界中の匂いを紹介しよう。
ではそれまでさらばだばらさでまれそはで。わかよたれそつねならん。

     〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜

最近、読んでおもしろいなと思ったコラムがあったので紹介します。
『ニューヨーク・ブラックカルチャー・トリヴィア 』
http://members.aol.com/NYBCT/  の中の、What's New から
113)ニガーと、ちびくろサンボと、アフリカ人 02.03.09



2002/03/16()

9月11日 NY テロその後 半年

先週までで、合計2830人の犠牲者の死亡または行方不明が公式発表されている。
そのうち、755人の遺体が発見/確認されていて、現在、未だに2000人以上の
犠牲者が発見/確認されていない。

死亡者のうち、343人が消防士。(犠牲者の約8人にひとり)そのうち、183人の遺体が未だに
発見/確認されていない。

関係医療機関には1万を超す「証拠ファイル」が身元確認のための DNA 検査を待っている。





2002/03/17()

アフガニスタンの一般人犠牲者

9月11日のテロ以降、アメリカ軍のアフガニスタンへの報復攻撃では、
いったい何人の一般市民が犠牲になったのか。
公式発表は混乱の中にある現地では把握できないために出せないのかな。

ニューハンプシャー大学のマーク・ヘロルド教授が、世界中の放送/出版等のメディアソース
や目撃者、国連の発表などを一つにまとめたものが、2001年12月20日発行 イギリス
The Guardian (www.guardian.co.uk/guardian) に発表された。
それによると10月7日から12月10日までの間、アフガニスタンでの一般市民の
犠牲者の総数は少なくとも3767人であるとのこと。

(参考サイト)
www.media-alliance.org/mediafile/20-5/casualties12-10.html
www.cursor.org/stories/civilian_deaths.htm



2002/03/19(火)

東北新幹線上り。2002年1月のある日

ぜったい NY では聞く事のできなかった理解不能の会話から。

♪バックグラウンド音声は「かたこーかたこーかたこー. . . . 」です、新幹線の。
    〈 福島を、超したころ. . . . 〉

A「いやさ、ま、その....一杯いきましょお」
B「あ、ども」
A「な、...いやあー俺はねっ、あんたがね、他人にね、思えないのっ」
B「え、えぇ。ま、あのあまり勢いよく飲まれても、あれですし..」
A「いやあーっ!いいんだよおー。あんたのお、おかげでえ、ほんとっ...あれなんだから」
B「いやいや、いやいやあ」

    〜二人ともしばし無言の後....〜

A「まさ、まあずは、首尾よく終わった、ということで」
B「ほんとに。ま、ま、もう一杯.....おーっとっと。」(注/ワンカップ大関ね)
A「あーそーそー。そおよ、JR もさ、今度は民営化されるっつう話しだしさ、な?」
B「ほんとっすねえ」(???)
A「官庁ならよ、俺はよ、もうやってんの。な? 俺はさ、官庁はもういいっつうのよ」
B「ほんと、官庁の方は....」
A「俺はさあ、かんちょうはもういいの。もおね、便秘の時にもうやってもらったしよ」
B「うわあーーーはっはっはっは」
A「な、俺はさ、あーんたとは、気が合うって、まーえーから、思ってたんだ、なあ。」

私(注:すっごいめーわくう。でも、おっもしろーい!つづき、つづきい。じたばたじたばた)

B「もおほんと、そおっすから」
A「でよ、いつもさ、あんた、どこで遊んでるのお..え?」
B「あ、今度いいところ、紹介しますよー」
A「な、いいところ、あんの、俺知ってんだよー。今度さ、一緒に、行かないとお」
B「ほおんとに、そおすねー」
[以下、記憶不確か。この辺で新幹線は上野を超したあたり。終点まじか。A 焦り始める....。]

さて反省点ー。
意識を集中して聞いていたにもかかわらず、そして日本語だったにもかかわらず、会話の2/3は
何いってんだか判んなかった、のであった。ま、こっちも「ワンカップ」飲んでたんだけどね。

日本人の会話っておもしろーい。そして、二人のビジネスマンの方、おっつかれさまでしたー。



2002/03/26(火)

『吉野屋』タイムズスクエアにオープン!

昨年末から、あくあくと言われていた牛丼の吉野屋が、
ついにタイムズスクエア (W42st/7 AVE と8 AVE の間)に開店しました。
で、早速食べてみたのだけれど、味はまず日本のものと変わらない、
というのが俺の意見なんだけれど、人によっては日本のより若干甘い
感じがするという意見もある。
ま俺は合格点をあげたいなあ、うれしいなあ吉野屋できて。
並が$3.59 大盛りが$4.99 お茶が¢89だって!(ううー)
大盛りの量はあれは日本でいう特盛りだな。なにより残念なのは、
店で食べてもテイクアウトと同じ容器で、あのどんぶりでは出さないんだ。
どんぶりかちゃかちゃいわせらんない。んまあいいか。

吉野屋/253 west42nd Street New York、NY 10036



2002/03/31()

ジョン・ウェイン

先週、なぜだかジョン・ウェインさんとバーで酒を飲む夢を見ました。
別に最近西部劇を見たわけでなし、一切身に覚えは無い(!)。
しかしながらそうめったにない経験なので、不気味半分ちょっとうれしいのです。

そこは、シカゴかどこかのダウンタウンにでーんとある古い老舗の大きなバー。
俺は2階にある、バーカウンターから1メートルほど離れた木製の傷だらけのテーブルに、
見知らぬ日本人の女性と座っています。
カウボーイハット姿のジョン(敬称略ね)は、立ったままカウンターにひじをのせ、
片手に葉巻き、片手にグラスでこちらを向いている。もちろん腰にはガンベルト。
どういうわけか私達は知り合いで、三人とも英語で会話をしているのです。

「ジョン(敬称略だってば)。あなたの飲んでいるものは一体なんですか?」
「これはな。コークとジンを混ぜて云々〜だ。」
英語なのに不思議とジョン(敬称略)の声は小林昭二さんにそっくりです。
「あなるほど。それは、○△■とかいう飲み物ですな。しってますしってます。」
俺の隣に座っている見覚えのない日本人女性は、一言も口をきかずに黙っている。

えーと。 他に会話らしい会話は何かしたかなー. . . . 。
ともあれ、10分ほど会話をするとジョン(敬称略)は、「時間だ。行かにゃならん。」
とか言ってどこかへ行ってしまった。

これは霊界にいるジョン(敬称略)から俺への、何かのメッセージなのだらうか?
何にせよ、これを単なる夢と片付けずにだな、夜、寝ている間に起きていた事実、と解釈する方が
釈然とするし、俺はそっちの方がちょっと気分が良いのですがね。

なぜだ、ジョン! なぜだ、なぜだ!



2002/05/05()

はて、

最近、朝目覚めても、すぐに今の季節が判らなくなっている。
確か今は10月くらい、つまりもう秋かー. . . .
あ、いやこの間まで冬だったから、これからいよいよ春が来るのかな、
とか。

で、雪でも降り出しそうな外に出て再び、はたと立ち止まる。
おや、やっぱり秋も終わりか。ほれ落ち葉もこのとおり、はらはらと。
なんてね。
ちゃんと毎朝、カレンダーで確かめてますよ。大丈夫ですよ。
今はもう5月。春っぽくない5月でさぁ。

と思ったら今日から1週間、20℃過ぎの日が続くんだと。



2002/05/13(月)

HANK JONES ! HANK JONES !

我が愛しのアパートから歩いて3分ほどの所に SMOKE というライブハウスがある。
その昔、AUGIE'S という名前だった頃は、若手ジャズミュージシャンの登竜門といった
感じの、いわゆる『ノーチャージ』の御近所バーで、週末は明け方まで JAM SESSION
とかやってたんだけれど。
今や名実ともに、アップタウンを代表するジャズクラブなのだ。

昨晩その SMOKE へ行ってきた。
ハンク・ジョーンズ(84歳!)のソロピアノ。
はあー、驚いたですよ。俺、ちょっと興奮気味かもね。
我々はまだこの御老人から学ぶ事だらけじゃん、と思わされた。
Satin Doll のリハーモナイズなんて、なんだかちょっと Clare Fischer 的な
鳥肌が立つような素敵なもんで、みんな水を打ったように聞き入っていた。
1918年生まれのお方とは思えないような、未だに探究心に満ちた即興演奏、
そして若いスピリットとユーモア。余裕だな。貫禄かね。
ラグタイム風あり、モダンあり。
1セットのみの2時間近いショーだよ。ほえー。
家に帰ってから演奏曲目を思い出していたら、16曲もあった。

ソロピアノ:Very Thought of You, Ain't Miss Behavin', Maple Leaf Rag, Blues in 6/4,
You'd Be So Nice To Come Home To, Memories Of You, In a Sentimental Mood,
Summer Time, Alone Together, Satin Doll, Sakura,

最後の5曲は John Webber(Bass) Joe Farnsworth(Drums) を加えての
トリオで、Confirmation, Autumn Leaves, Billies Bounce, 'Round About Midnight, Oleo,

実はこの日、NHK が番組をつくるとかで、カメラ3台を持ち込んで来ていたから
そのうち日本でも見る事ができるんだろうね。



2002/05/26()

王様と姫君

王様「わはわは、わはははははははは。あははははははは。」
姫君「王様、何を笑っているんですの?」
王様「いやいや。あーはっはっはっはっはっは。」
姫君「もおー。王様ったら。」
王様「あいや、すまんがのっ。はーおかしかった。あのな、何で俺が王様なのかなーとふと思ってよ。」
姫君「いやだわ何を今さら。もうずーっとそおでしょ?」
王様「いや苦しゅうないがよ。ホーレーショ、ホーレーショはどこにおるんじゃ?」
執事(駆けつけて)「王様、お呼びでござるか?オヤ、真っ暗だ。電気はどこだ?」
    = 執事、部屋の明りのスイッチを入れる = パチンッ
王様(慌てて)「うわ、まぶしい!消せっ消せっ、明りを早く消しなさい!まぶしいじゃないか。」
執事「こーんな真っ暗やみの中で王様、一体全体....あれれ?」
王様「だから消せってんのによ!」
執事「魚屋さん、あんたこんなところで何やってんの?」
王様「なんで俺が魚屋なの。そういうお前はよく見れば羊の着ぐるみ着て。」
執事「それにお前は、妹の親友のジョセフィーヌ.....。」
姫君「もー何言ってんの、早く電気消しなさいよね。ばか、あんた気が変なんじゃないの?」
     = パチンッ、明り消される = 暗転。


     〜 第一部 第一幕 おしまい 〜




2002/06/01()

現実との遭遇

ため息のでるような良い天気。
はぁー暑いー。天気良すぎだよ今日は。
エアコン入れたの今年2回目。
ランドリーの合間にセントラルパークへ行ってみる。
丘の上は牧場みたいに、みーんな暇な牛になって倒れている。
あっついもんねー。
時折、木の枝をぞわーっと鳴らして吹いてくるそよ風に、
天国とはこんなところかも、とベンチに座ってつかの間の失神。
ここって、UFO が着陸するのに絶好の場所だよなあ。なんて。
なんたら EARTH DAY に、みんなが手をつないで輪になって、
おーい、うちゅうじーん . . . . とかなんとか英語で叫んでるの見た事あるぞ。
まいいや、そんな事は。

さて昨晩のことである。
いやー驚いた。(失礼)

用事があって深夜、サウスストリート SEAPORT まで行ってきた。
ずーっとダウンタウンの方、というかマンハッタンのほとんど先端。
で、その用事の後、足は自然と誘い込まれるようにウォール街へ向かう。
深夜だから人影も少ない。
NY 証券取引所の建物へ通じる全ての道路は、
車道のまん中に置かれたパトカーによって封鎖されている。
そんな事知らなかった俺の顔を、つまらなそうに車の中から見つめている警官。
いや別に、証券取引所に用があるわけじゃないのさ。
バッテリーパークの方へ迂回して、「あの場所」へ近づいていく。
一度も、行っていないんだ。あの現場には。
何かの用事で近くまでは行っても、わざわざ見に行くような所じゃない、と。
それに正直に言って何か恐いような気もしていた。
照明にてらされて煌々と輝く現場は、何か聖域のような神々しさを感じさせた。
冗談じゃない、大袈裟だよっ。ーてほんとなんだから仕方ないねえ。

おお、なんと焦げ臭いではないか未だに。
あの日、NY 市中に漂った、あの火事場の様な鼻を突く匂い。
それが今もなお、そこに漂っている。
ぽっかりと空いたその現場を囲むように残されたビルは、
どれもあの時の粉じんで薄汚くなっている。
写真で見た戦後のワルシャワの街を思い出した。
何度も何度も、何も無い暗い夜空を見上げながら、
決定的に変わってしまった風景をいろんな角度から検証して、はぁー、
地下に降りると「WTC おみやげ店」がシャッターを閉めて残っていた。
3番トレインはここ Chambers STが終着駅。
元々1番と9番トレインは、この先 WTC の下を潜って終点のサウスフェリーまで
駅三つがあったのだが、線路が潰れてしまったために、ここからぐぐっと曲って
ウォール街を通ってブルックリンへ行く。(元2&3番トレインの線路)

焦げ臭い匂いは、駅構内にまだ残っていたし。
地下鉄に乗ってしばらくして、喉がいがいがしているのに気がついた。
本当ですって。

いやー驚いた。



2002/06/15()

LIVE AT THE BLUENOTE 6月23日(日曜)!

トップページでも既にお知らせしてありますが、
ブルーノートでライブがあります。日曜のブランチタイム。
『EAST MEETS WEST』というコンサートシリーズの一日です。

6月23日(日曜)12:30 & 2:30 PM
チャージ、ブランチ、1ドリンク込みで19ドル50セント。

SHIRO SADAMURA (Electric Violin)
ETIENNE STADWIJK (Keyboards)
ESSIET ESSIET (Bass)
DARREN BECKETT (Drums)

SHIRO SADAMURA QUARTET としての出演で、今回は UPLINKERS よりは
もう少しジャズ寄りのプロジェクト。
もちろん UPLINKERS のようなコンセプトも持ち込もうと考えています。

皆様の御来場を心よりお待ちしております。ふっふっふ。ふがみっつ。



2002/06/28(金)

序破急


お陰さまで、BLUE NOTE NY でのライブは盛況でしたよ。
ほぼ満員!
1stセットの最初に音声トラブルが起きて、精神的にやられちゃうかと
思ったのもつかの間、回復してからはすぐに集中できた。
ああいう事があっては、ならん。けしからん!(自戒ね)

今回は UPLINKERS 的な即興性のあるアプローチも持たせながら、
スタンダード等の有名な曲を素材に、ブレークビートを使ったり
して料理していく、という方法を取ったのだけれど。
うーむ。まだまだ。
もっと追求してみたい! UPLINKERS もやりたいし。

来ていただいた世界各国の皆々さま、ありがとうございました!
近い内にライブの時の画像もアップしますぜ。
さあ、次だ!



2002/06/30()

La MaMa

NY で前衛演劇/パフォーマンスを支えてきた、オフ・オフ・ブロードウェイの小劇場
La MaMa(イーストヴィレッジ地区)で開催されていた
『寺山修司/天井桟敷&東由多加 レトロスペクティヴ』(6/13〜6/30)を、
最終日を迎えた今日、すべりこみで見て来た。
初日は九條今日子さんのレクチャーがあったりと盛況だったそうだが、
最終日の、それも閉館近い時間で、入館者は俺を含めて数人だけ。

『奴婢訓』(78年/東京晴海国際貿易センター)のビデオ上映が終わって、
あれは恐らく人力飛行機のレプリカなのだろうか、他台本のような展示品を眺めたりして
だーれもいなくなった後、犬をつれた入り口の東洋人のおばさんに
「THANK YOU」といって暑い中、てくてくと戻って来ました。



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