What's up?  2003年1月〜6月
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2003/01/22(水)

更新しなきゃ更新しなきゃ

あーなんか書かないと。
ついにはなんにも書かない癖がついて、で廃虚になってしまう。
むかしむかし〜あるところに、じゃなくて。
えーとー。
じゃまず近況事後報告からだな。

先週金曜、ボトムラインへ Jamaica All-Star Reunion Band のライブへ行ってきた。
Marcus Miller や Lenny White, Dean Brown をはじめ、クイーンズはジャマイカ地区の
ミュージシャンを中心にしたプロジェクトバンド。
というか、キーボードの Donald Blackman が MD となって企画した Weldon Irving Jr. の
追悼コンサートっていうのがほんとなのかな。
Roger Byam や Danny Walsh のサックスもよかったし、Tonni Smith のボーカルも
胸を打ったね。むっちゃくちゃファンキーなライブでごっきげんだった。

追悼といえば、12月のあの雪の積もった夜に交通事故で亡くなったテナーサックスの
ボブ・バーグ (Bob Berg) の追悼サイトがあったので紹介しときます。
 http://test.funeral.tv/summary.asp?deceased_id=42

あと最近、鷺沢萌の文にハマってます。最初は女性作家だとは思いもしなかった。
男っぽい文体だと感じたんだがなあ。恥ずかしいなあ。反省賛成。



2003/02/05(水)

こんどは Metro Twin

いやまったくざんねんだ。
家から走って(笑)5〜6分の所に(ほんとだってば)実はもう一館アールデコ調の
古い封切り映画館があって重宝していたんだけれど。
先月でついにつぶれたようだ。
一体どうやりくりしてんだろうとは、思ってたんだ。

ま、そこも戦前くらいからありそうな、外観もちょっとクライスラービルとかエンパイアみたいな
感じでさ。あ誉めすぎか。Metro Twin ていうんだけれど。
12月に閉館した Olympia Twin もこの Metro Twin も、Clearview Cinema という
同じ系列の経営だったから、たんなる新規改装が目的なのかな。
なわけないよなあ。あーあ。
真夏の平日に避暑がてらふと入ったら客なんて俺ひとりだけ、なんてことよくあったし。
週末以外は慈善事業みたいなもんだったのかね。

思い出せばいろんな映画館がつぶれたよな。みんなそれぞれ味のある古くて渋い小屋だった。
ブロードウェイと95st に Thalia っていう名画座があった。
90年代の頭まであったと思うんだけれど、ウディ・アレンの映画『ANNIE HALL』では
ラストシーンにも登場してた。なんだか小便臭くて汚いんだけれど、内装の壁が赤で統一されてたり
天井の低い地下ロビーには古びたデスクランプが置いてあったりと、なかなかいい味だしてたよ。
雰囲気で言うと、銀座の並木座って感じかな。ちょっとアットホーム(?)なムードがあって。
で、実はこの Thalia がつぶれたあと、ブロードウェイ側の顔だった Symphony Space っていう
劇場が新装されたのと平行して、この小屋が Symphony Space's Leonard Nimoy Thalia として
復活したのだ。なんだか小奇麗になっちまいやがってさ。(未だ名画座だけどね。)
Leonard Nimoy といやあ『宇宙パトロール(STAR TREK)』のミスタースポックじゃん。
あの耳の尖ったバルカン星人がお金を出してくださったのかえ。

グリニッジ・ビレッジ地区には80年代のなかばまで Bleecker Street Cinema ていうのが、
ブリーカー・ストリートにあった。今は ELBOW ROOM ていうロック系のクラブになってるけどね。
雰囲気で言うと、三鷹オスカーだな。ぼろぼろのアップライトピアノが置いてあって、
サイレント映画の特集なんかがあると、劇伴のピアニストが真っ暗なステージ脇に上がって
ディミニッシュコードなんかを得意げにじゃんじゃか弾いていたよ。
(あそうだ余談だけれど、ELBOW ROOM になってからの話しで、2年近く前にここで
JAPAN NITE US TOUR と名打った LOVE PSYCHEDELICO のライブを見たぞ。)

うーん、考えてみればニューヨークは80年代までは街中、映画館だらけだったんじゃないかな。
マンハッタンのへそであるタイムズスクエア界隈でさえ、名画座やポルノ専門館を含めた
数多くの映画館に囲まれてその存在が成り立っていた感がある。
そしてメジャー(封切り館)の影響を受けずにおんぼろのままでも、独特の作品で勝負してた小屋が
街中にたくさん残っていた気がする。


で、家の近所では(笑)あとは家から歩いて20分くらいのところにでかいシネマ・コンプレックス
があるけど。気楽に行ける雰囲気ではないなあ。

いやいやざんねんだ。



2003/03/25(火)

死刑囚

自分が死刑囚で、まさに今朝が執行日だったとしたら、
俺はいつもよりちょっと長めに念入りに歯を磨くだろうか。
時間をかけて歯を磨いたところで、執行時間を遅らせる事ができるとは
思わないしなあ。
歯ぐらいいいか。ま、普段よりほんのちょっと丁寧に。
ーなんて事を今朝、歯を磨きながらぼんやり考えていた。

毎日何度も何度も、死んだり誕生したりを繰り返している。
1分前の俺はここにはいない。
もし過去の自分全員に会う事ができたらすごいだろうな。
何人いるんだろう?
きっとあまりのショックで頭をかかえたまま、その場で死んでしまうだろう。

日曜のよく晴れた朝、突然発作のように思い立ってレンタカーを借りて、
懐かしの BOSTON へ1泊旅行してきた。
片道約4時間、平均時速120キロくらいでぶっ飛ばしてきたのだ。
うははは。
懐かしかったし。
BERKLEE の向いにあった『カフェ・ブーケ』が『スターバックス』に
なっていたのには驚いた。っつーか時代を感じたね。
昔よく行った中古レコード屋で、めっずらしい CLARE FISCHER の LP を
見つけて買ったり。
相変わらず学生ばかりの街じゃのう。ほくほく。
夜遅くまで街中をうろうろして、毎日まじめに勉強していた日々を思い出した。
こんなに簡単に来れるなら、また来ようっと。(GRAYHOUND や AMTRAK もいいけどさ)
翌日の帰りは浮かれて EXIT を2度も間違えて、30分くらいロスしたけれどー。
迷ったおかげで、わけのわからない森の休憩所に入れたし。

そんなこんなで毎日何度も、死んだり誕生したりを繰り返している。



2003/05/04()

さなぎ

眠れぬ明け方、物の気配にふと薄目をあけて見ると、
天井に等身大ほどの大きなサナギが張り付いてじっとしている。
「げぇっ」と思い眠い目をこすりこすり、
バイオリンの弓を持ち出しよろつきながら、ベッドの上にそっと立ち上がる。
息をこらし弓を持った腕をぐっと伸ばしてさなぎの背中をそっとたたいてみる。
全然動かない。
さなぎは丁度アゲハ蝶のさなぎと同じような形状をしているけれど、
その大きさだけが違う。
とんとんとたたいてみても全く反応がないことに少し安心する。
ずっと天井を見上げたままの首が少しずつ痛み始めて朝が明けていることに気がつく。
すると再び睡魔がおそってきて、とにかくもう一度ベッドに横になろうと俺は思う。

目の前でじっとしている大きなさなぎを薄目で睨みながら、
再び眠りに落ちるまでの間ふと考えてみる。
もしあれが、俺の寝ている間に羽化しちゃったら、どうなるだろう?
若干の体液なんかが上から降ってくるかもしれないし。
だいたい、大きな羽のあるものなんかになっちゃった場合は、
部屋の窓から飛んで出て行けないかもしれないし。
まとにかく、次に目が醒めるのは昼頃だろうから. . . . 。
その時の状況で判断するかー。

薄目のなかで意識はだんだん遠くなってゆき、
さなぎだってなんだって、まいいじゃないか。
寝て、また考えよう。いてもいいしいなくてもいいし。
とりあえず窓は開けておこうか。

おやすみよ。



2003/05/28(水)

Luciano Berio

ベリオが亡くなった。

合掌。    彼、さいごに何を考えたんだろう。





2003/06/29()

『ニ週間の日常と非日常』

日本から帰国していつも感じるのは、NY での生活のプリミティヴさ加減だな。
まったくもって原始的ってか文字通りの意味でのワイルド、ね。
『サバイバル』ともいうかなあ。
そうそう、申しおくれたのだが、突如として訪日してたのでした。
日本へ旅立つ前から、そのほとんどの日程が決まっちゃっていて、
いまその全行程をメモで見ていると、よくぞこんなにスケジュールを
こなせたなーって感心するよ。
それはともかく。

東京は広い、日本は広い。おらまだなんも見ちゃいないんだね。
ここは行く毎に何か新しい発見があるよ。
風景が変わっていたり、新しい建造物があったり、無くなったり。
NY だって新しい高層ビルとか建設しているけれど、
なんだか日本ほどの『風景の劇的な変化』って無いなー。
日本には失われて永遠に葬られてしまう風景がたくさんある気がする。
なんだか残念にも思うけれど、逆にそれが刺激的だったりもする。
NY って、俺がここにずっと住んでるせいもあるだろうけど、
誰かがいつ戻ってきても基本的な風景って変わっていないんじゃないか。
古い店が新しい店に、なんて変化はあるけどさ。
今回、日本のいくつかの『下町』とか、一本裏の通り、とかを歩いていて思ったのは、
結局、古くていい感じになってる建造物は、みんな基本が木造一階〜二階だから、
ちゃんとメンテナンスとか金かけて修復とかを行っていない限り、
いずれは朽ち果てて、新しい風景と交代させられる運命にあるんだなってこと。
いいとか悪いとかじゃなくって、日本の文化ってそういう諸行無常っていうか、
風俗なんかもそうだけど、はやりすたれの運命を受け入れて生きつないできたんだろね。

ここ何年か、日本に来てもその限られた時間が『非日常』ではなくなって、
NY での日常生活の延長にあるような気がしてきているのは、日本で費やしている時間に
たくさんの『発見/再発見』を見出しているからなのかも。
どこにいても、『日常』のような醒め方をし始めているというか。
つまりここにいても、そこにいても『非日常』はほれすぐそこにあるし。
あれ。

俺の中で何かが一本になろうとしてんのかなあ。




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